長めのコラム「ONE NIGHT ある夜、高円寺の路地にて」


記念すべき?第一回目となる「トークセッション交縁路」が終わった。


イベントが始まるまでは、何気に緊張していた。
今までの経験から、「緊張する→どう展開するかイメージして心の準備をする→機材や会場などの物理的な準備する」という行程を辿れば、なんとかなる、というのは分かっていたし、逆に緊張せずに臨んだイベントは失敗する、ということを自分自身に言い聞かせていた。


というのも、今月上旬にTOKYO SOURCE一行で別府に行った際、現地の大学で講演したのが大失敗だったからだ。
トークの相棒である近藤ヒデノリがモチベーション不足だったこともあるが(苦笑)、僕自身、旅行前のバタつきを理由にしっかりと場と時間の流れをイメージできていなかったことに尽きる。なるようになることを想定して臨むのと、なるようになってくれと半ば神頼みして臨むのでは雲泥の差が本番で出る。


それから、今回のイベントは、本当に自分自身のソロプロジェクトで始めたということも大きい。TOKYO SOURCEでのイベントは基本、近藤とのコンビで今までやってきたし、何度かトークも講演をやったけれど、そこには話すべきお題が設定されており、来てくださる方の雰囲気も事前になんとなく分かった。


でも、今回の「交縁路」は、僕個人の純粋な欲求で始め、ブックカフェ「アバッキオ」のオーナーであるタイゾー君にお願いをし、当日の店長である黒ちゃんと話し、ゲストを選んだ。全て僕が基点だ。


にもかかわらず、やはり来てくださる参加者のため、ということが最も重要だった。もちろんイベントをやろうと思ったからには読みはある。小規模のトークで、学生や社会人の方々の興味や関心、なんとなく抱えている不安や悩みを思い浮かべた。でも、それはお客さんだからということではなく、僕もまぎれもなく、かつては悶々として何かをやりたいけれど、なかなかやれない学生であり、社会人になっても、同じような想いを長いこと抱えてきたのだ。
だから、僕個人から起因していても、きっとどこかで他者と通じる部分があるんじゃないか、そんなことを思ってローンチしたイベントだった。


TSの活動を続け、本を出版すると、決して大きくはないけれど、思わぬが反響があった。東京だけでなく、日本のいろんな地域の人が共感の声を寄せてくれた。そこで、僕は、TSをハブにして、地域と東京、地域と地域を結ぶような活動ができないかと、LOCAL SOURCE(LS)といういわばTSのスピンオフ企画を思いついた。その第一弾が総勢11名の大人の修学旅行、別府ツアーに繋がっていった。


別府での強烈な体験を述べるには長くなるので、ここでは書けないけれど(もう写真で十分に分かった、いい加減にしてくれ、という方もいらっしゃるだろう(笑))、僕はTOKYO SOURCEというプロジェクトをやりながら、東京というくくりの大きさに少し戸惑いがあったのも事実だ。
別に東京を日本の中心だとは決して思っていないけれど、自分が住んでいるのが東京であるなら、この土地から、自分の足元から何かことを起こし、発信してみようと始めたのがTSだったわけだけど、東京という街はあまりにも大きすぎて、自分の足元から生える木を見るというより、とらえどころのない、広大な森のように見えた。福岡出身の僕にとっては、たとえば、下町出身の方のような、地元東京に対する愛着はない。


じゃあどうすればいいんだろう?


そこで、引越し癖が抜けなかった自分が約5年も住んでいる高円寺という街のことを考えた。六本木のド真ん中に住んだり、横浜に住んだり、3年くらいの周期で移動してきた自分がなぜここにとどまっているのか。


言うまでもなく高円寺はライブハウスや小劇場のあるカルチャーの街であり、大型スーパーや大手チェーン店ではなく、街の商店街に古くからやっている八百屋さんや魚屋、御茶屋、和菓子屋、古本屋、そしてもちろん居酒屋やバーが軒を連ね、そこに若者たちが、古着屋やレコードショップ、カフェを構えては、街の新陳代謝に耐え切れずあっという間に消えていく。大阪や沖縄の人がこの街には多いと聞くが、東京のほかの街よりも地方からの寄せ集まり度が高く、スノッブのかけらもない街だ(ずっと地元の人いたら失礼!(笑)。つまりは、入って来やすく出ていきにくい街とも言えるだろう)


若い頃は洗練されたものしか許せなかった“いちびっていた”自分が、30代にこの街にたどり着いたのも、なんとなく、そのゆるさ、いい加減さ、おおらかさ、そして人間臭さにとりつかれてしまったのだと思う。'76年のロンドンのパンク革命から30年以上経っているのに、この極東の街では変わらずパンクスたちが闊歩し、それと同時に、白い上下のスーツにドデカいレイバンをかけたジイさんが昼間から愛人と鮨屋で酒を飲んでいる。沖縄料理屋とカレー屋がやたら多くインド人も多いし、まさに混沌、混浴が常態である。


まあ、そんなこんなで、愛しの我が街となった高円寺での最大の出会いは、北口の庚申商店街の路地にできたブックカフェ「アバッキオ」に尽きる。初めて訪れた日のことは忘れられない。
「こんな路地あったけ?」と、あの高円寺の中でも最強に寂れた路地。その奥に看板が出ていた。
しかし、店に入ったとたん、オーナーのタイゾー君の美意識に打ちのめされた。書棚、テーブル、壁に張った写真や絵、ドアといった空間の全てがアンティークを再生させて作られていた。そして、無造作に並べられているようで、実はすごく計算された、まるでティルマンスの展示のようにアトランダムな本の並べ方は、世界中の文学、旅行記、写真集、哲学書、宗教書、日本の古い書物と、知を巡る冒険、店にいるだけで旅をしているような気分にさせられた。
しかもタイゾー君は、絶妙なタイミングでお客に話しかけるのだ。そこにいることが苦にならず、旧知のように思わず色んなことをしゃべってしまう。
そんなお店に通い詰め、常連たちと友人になり、時に花見やピクニックをしたり、旅に出かけたり、はては自衛隊の基地の島である南洋に忘れ去れた東京都の島、そうあの硫黄島にバイトしにいったりするようになった。


地元・高円寺への愛着と、「アバッキオ」というお店の魅力、それなしには、今回のイベント「交縁路」は思いつかなかった。


ゲストは、TS初の書籍『これからを面白くしそうな31人に会いに行った。』の出版トークショー青山ブックセンター本店でやった際にも出演したもらったブック・コーディネイター内沼晋太郎君にお願いした。内沼君は僕なんかより、ずっと多くのトークショーをこなし経験があるし、僕より1つ世代が下にもかかわらず僕より数倍、適応能力や提案能力という点ではずば抜けている。彼の自著『本の未来をつくる仕事/仕事の未来をつくる本』が刊行されたというトピックもあり、僕が失敗しても内沼君の魅力でイベントを切り抜けられるのでは、という読みもあった。


さて、イベント当日。会場はあっという間に超満員になった。もちろん事前の予約制だったし、内沼君めあてのお客さんもいたけれど、本当は非番だったオーナーのタイゾー君も顔を見せ、TSでいつもお世話になっている写真家のNOJYOも奥さんともどもやってきてくれた。

今回、「トークショー」ではなく、「トークセッション」としたのには理由がある。僕自身、トークショーを聞くのは、少し苦手な部分があるからだ(米田智彦の『正直しんどい』より(笑))。一方的に誰かの話を聞くのは好きじゃないし(要は出たがりなだけか!)、講演会場で眠っている人がいるといつも気になってしかたがないのだ。


参加者が単なるお客ではなく、時に主体となって話して、それにスピーカーや司会がつっこんだり、質問したり、参加者が参加者に質問したり、うなずいたり、反論したり、主客が入れ替わりたちかわりしながら、語り合う。そんなことをしたいと思った。
元々バンドマンの僕は、セッションという言葉にはやはり惹かれる。想像もしていなかったリフが相手から飛び出し、それに呼応して自分の技術を超えたフレーズも弾けてしまう。そんなスタジオセッションを若い頃によく経験した。だからライブハウスやコンサート会場ではなく、練習スタジオみたいな感じでセッションをやりたいと思った。


で、実際、その通りになった。


だいたい講演とかトークショーをしていると、お客さんの顔は少しけだるい。人の話を一方的に浴びると人間という生き物はそうなってしまうものなのかもしれないけれど、僕は参加者全員の話が聞きたかった。
黙っている人も少し暗い顔をしている人も言いたいことはたくさんあるはずだ。発言することを恥ずかしがっているだけで、何も考えていないわけじゃない。だって、高円寺という決してメジャーではない街の、こんな路地裏くんだりまで来ているのだ。何か感じてはるばるやって来たはずに違いない!


そして、話すだけじゃなくて、手を動かしてほしいと思った。メモをとったり、自分の考えをまとめたり。子供の頃、授業中に教科書の余白に落書きを描くのが好きだったせいもある。スケッチブックを参加者分用意して、発言があるときは、そこに書いて発表してください、そしてスケッチブックにはメモだって、落書きだって好きなものを書いてください、というルールだけ決めて、後はフリーセッションだ。


まず、僕が内沼君に質問して、それに答えてもらうことからランディングした。今までやってきた彼の仕事の画像をプロジェクターで映しながら駆け足で説明してもらい、それからは、僕が参加者を指名して質問してもらったり、内沼君から参加者に聞きたいことを出してもらったりという流れになった。


あっという間の1時間半。まとめも解もないけれど、みんなで話して考えて、そのプロセスを楽しむ時間を共有できた。


一番びっくりしたのは、わざわざ大阪からバスに乗って、このトークのためだけに来てくれた方がいたということだった。別府のNPOオンパクの末田さんも東京滞在中ということで顔を出してくれた。


懇親会はアバッキオの屋根裏の「ホテル・スプートニク」でやった。ここは、日替わり店長がたまに寝泊りする場所であり、いくらかお金を払えば、一般の人も泊まれる宿でもある。

今回、実は女性の方々には「ドレスコード」を事前にお願いしていた。
「スカートではなくパンツを穿いてくるか、見せてもいい下着、逆に勝負下着を穿いてきて下さい!」と(笑)。
トーク後の懇親会はアバッキオの2階で行われるからだ。梯子をみんなで上って(何度上ってもアレは怖い!)、6畳ほどの部屋に、ぎっしり座り込んで、終電近くまで続きの続きを話した。


深夜1時すぎ、会場を片付け、店長を務めた黒ちゃんと軽い打ち上げという感じでビールを飲んでいると、
向いの居酒屋「焼き貝専門店・あぶさん」の大将がひょっこりと顔を出した。


「今日、見てたんすけど、いいすねえ! 俺も飲んでいいですか?」

彼のお店の営業時間にもかかわらず、一緒に酒を飲んだ。


「今日しゃべってた人、俺より絶対頭いいと思うんすけど、一体誰すか?? 俺、頭いい人間の話って聞きたいんすよねー」という彼。


そして、
「次、俺も参加していいっすか?」


そりゃもちろん!!!!



「文化ってなんなんですかね・・・」

そうぶっきらぼうに言う彼の質問に僕は答えられなかったけれど、まあこの路地から何かが始まればいいなと思った。そういえば、このイベントの副題は「人が出会う、何かが始まる。」だったっけ。


僕が私淑する作家のロバート・ハリスさんは、シドニーに住んでいる時、伝説のカフェ「エグザイル」を経営していた。そこは、ロッカーやパンクスがたむろし、詩人が朗読し、アーティストが展示をし、夜な夜な文化が生まれていたという。(数年前、そのハリスさんとも仕事をすることとなり、直接「エグザイル」の話を聞くことになったんだけど、その話はまたいずれ)


それから、ケルアックやバロウズらのビートニクもサンフランシスコの「Vesuvio Café」で生まれ、その街のブックストア「City Lights」で、かのギンズバーグの代表作『HOWL(吠える)』は出版された。


まったく無意識でやっていたけれど、やっぱり「カフェ」と「本屋」なんだ、と思う。
だから、僕は「アバッキオ」に魅せられ、ここから何かを始めたかったんだなと気づいた。


そして、「路地」だ。


誰もいないけれど、誰かがいたような気配があり、誰かがやってきては通り過ぎていく。
そういえば、別府も路地の街だった。「交縁路」の「路」もなんとなくつけたのだけれど、言葉というのは言霊というか、なるようになるというか、落ち着くところや落ち着くようにできている。


まだまだ始まりの始まりだ。でも、出会いがあり、対話があり、笑い声が生まれ、訪れた人が何かを持って帰っていってくれたことがうれしい。


メディアの仕事をずっとやってきたけれど、人はもうマスコミにもネットにも本当の意味での魅力を感じていないように思う。(言うまでもなく、音楽業界はCDよりもライブが中心へと変わり、プロ野球も、巨人戦の視聴率が落ちたにもかかわらず全体の観客動員は増えている等々)。


カフェや本屋といった「場」はメディアだ。それもリアルに人が人と顔を合わせ、会話するメディア。本質的な手ごたえがあることしか、もう人は信じていないと思う。僕らみたいな仕事は。本質的なものを作らない誰も見てくれない時代だとも言える。


大きくて儲かるけれど人の生理や魂にふさわしくないものを、他人と自分を騙しながら売るより、小さくてもいいから手触りがあり、心と身体にしっくりものを身の回りから生み出したいと思う。
ありきたりかもしれないけど、ようやくそんな歳になったのかもしれない。そして、それを、やっぱり自分だけじゃなくて、誰かと共有したいという欲求にかられている。


出会いの不思議さと導きに感謝する夜だった。




PHOTO BY NOJYO