言葉が伝えるものの件


TOKYO SOURCEには特集がない。
特集という概念もない。


もちろん、僕が雑誌の仕事をやる時は、
台割」というものを作り、
第1特集、第2特集、連載、
などの記事を配置する
「ページネーション」を考える。


しかし、TSにはページネーションすらない。


いや、つまりは、
毎回のインタビューが特集なのであって、
特集以外がこの媒体には存在しない。


サイトの構成などを、今大きく変える見直しを
3月から行っていて、
色々なインターネットやメディアのプロの方に
アドバイスを仰いだ。


皆さんの意見として、
「今のままがいいんじゃない?」
というのが多いことに驚いた。


今のWEBマガジンというのは、皆「網羅的」になる方向にある。
それはインターネットというメディアの特性からだ。


要するに、より母数が多いユーザーを集めるために、
より多くの記事を、より多い更新頻度でアップする。


TSはまるで逆だ。


でも、それがいい、というのはどういうことだろう?と思った。


とにかく長いインタビューはWEB向きじゃない。
ページあたりの滞在時間は普通、長くても数分というのが
相場にあって、前編だけでもTSの記事は読むのに相当時間がかかる。


「よくあんな長いのやるねえ」とも言われる。
これは完全に後づけだけど、ある種の読者への挑戦であるのかもしれない。
(読者なんているのか?と思っていた)
紙ですら、今なかなかやらない
徹底的に掘り下げたロングインタビューを
2万字とかザラで、時には3万字を超えたことすらある。


それがTSの特徴であり、アイデンティティであるこということなのかなと。


そんな中、僕がずっと注目してきた雑誌がある。


「DIRECTOR'S MAGAZINE」。
http://www.creativevillage.ne.jp/dmaga/index.html


ポートレートは1人つきたった1枚。多くて数枚。
レイアウトは、見開きで文字のみ。質問文もなしで本人の言葉のみ。
それが何ページにもわたり展開される。


登場する方も毎回シブくてスゴイ。


岸田一郎、出粼統、操上和美、新井敏記、葛西薫秋山晶、松本弦人、妹尾河童金平茂紀・・・etc.


僕が最初に驚いたのは、リトルモア社長、孫家邦さんが出た号だ。


原宿の町をぶっきらぼうに歩く孫さんの写真が1枚だけ。
あとは、孫さんの言葉だけを載せた、やたら白地の多いレイアウト。
全インタビューにわたって、
写真のページは写真だけ、インタビュー本文は
2段だけであと白地とか、すごい引き算の構成だ。
もちろん、写真は写真としてきっちり見てほしい。
そして文章は文章のみに集中して読んでほしいという意図だろう。


孫さんのインタビューのあと、
荒戸源次郎さん、大森克己さん、そして竹井正和さんと
いった孫さんとゆかりの深い方々の言葉が延々と続く。この面子もスゴイけど。


「DIRECTOR'S MAGAZINE」を読むと
いつも「こんなん誰が読むんだよ!?」
とツッコミたくなるのだが、
でも、そこにある言葉に目を通していると、
インタビュイーの息遣い、いらだち、汗、怒り、感動みたいなものが
ひしひし伝わってくる。
文字起こしからそれほどいじってないためというのもある。
もちろんいじってはいるけれど、わざとそのまま載せているのだろう。


この「DIRECTOR'S MAGAZINE」、
文字通り、映像メディアにおける「DIRECTOR」のための雑誌ということで、
某映像系の派遣会社が出版しているにもかかわらず、
「徹底的に“つくり手という存在”にこだわり、そのものづくりにかけるひたむきな思いや生き方を、つくり手自身の言葉で伝えていきます。」という媒体コンセプトにあるとおり、


とにかく言葉が発する熱を読者に伝えたいという気合がビシビシと伝わってくる。
というか、この手の雑誌がそれほど売れるわけはないし、それだけでしか作られていないのじゃないかと思う。


TSも結局そうなのかもしれないと思う。


網羅的に様々な記事があり、豊富なコンテンツがあるという、
WEBマガジン潮流に乗って、いろんなことがやりたいと思うことが多々あるのだけれど、
ネットというメディアの特性には合わなくても、
言葉によってのみ伝えられるものを、誰かに届けたいと思って、
まったくもって金にもならないこのプロジェクトを続けてきた。


言葉以外のビジュアル表現も大好きなのだが、
結局、僕は言葉というものを、
まだ信じているとても古いタイプの人間なのだろうと思う。