Sugimotoの件

杉本博司さんインタビューより>
http://www.artgene.net/interview2.php?IID=1


— それにしても、最初にいきなりMoMAに行ったのがすごいですね。


杉本 まあ生意気なガキだったんですね、怖いもの知らずというか、最初から自信があった。昔は生意気な若者がいっぱいいましたよ。最近は見ないですね。ニューヨークで、僕は人生のポリシーを決めたんです。どうやって社会に出て行くか、とにかく一番高いところから当たって砕けろ戦法。そこでダメだったらひとつ下に降りて行けばいいじゃないか、どこかで受け入れられたら、そこが自分のレベルだと。画廊を選ぶ時も、一番いい画廊から攻めようと、当時のトップ、レオ・キャステリに行きました。そしたらやっぱり認めてくれて、すぐイリアナ・ソナベント画廊に紹介してくれて、話が決まった。だから、一番上から降りて行く必要がなくなっちゃったんです。




この発想を最近忘れていた!!!と気付く。


昔は傲岸の塊だった自分。
いつしか、年を経て、
下から登っていくことしかやっていなかったような気がする。


これは「謙虚」でも「努力」でもない。「惰性」だ。


努力とは「工夫」であり、
「発想力」だと思い続けてきたはずなのに、すっかり忘れていた。


もはや生意気な若者ではなくなった自分にとって、
一番高いところから攻める勇気と戦略が今、
必要だと改めて思う。


しかも!
このインタビューの続きは、
BONOとの出会いについてなんです。




杉本 あれが出てから問い合せがたくさん来て、騒々しくなってしまった。杉本もついにコマーシャルな写真家に堕したか、ギャラをいくらもらってるんだという興味があるんでしょう(笑)。でも、無償なんです。友だちだからいいよと。 今までも広告代理店を通してCDジャケットに写真を使いたいという話が何度か来ましたけど、お断りしてきた。でもボノの場合は商売抜きだから


—ボノからの依頼だったのですか?


杉本 ええ、彼とは3年くらいの付き合いになります。アイルランドに大コレクターがいてね、南仏にワイン園を持ってて、そこに現代美術の作品を置いたりしていて、呼ばれて行ったんですよ。
次の日にダブリンに帰るプライベートジェットで、ちょっと友だちの所に寄って行きたいんだけど付き合って、と言われて。それが誰なのか知らされないまま、突然、ボノの南仏の家に連れて行かれて、紹介されたんです。素晴らしい海の眺望でした。そこで彼から、いかに自分はあなたの海の作品が好きか、と告白されてしまった(笑)。
ここの海を撮ってくれないかなと言うんですが、いや、人に頼まれて撮る作品じゃないからとお断りしました。それでもいろいろ話がはずんだ中から、「NO LINE ON THE HORIZON」という曲ができたんですよ。海の水平線がぼやけて見えない、という話から、あの曲につながったんですね。ある意味で彼にインスピレーションを与えた。
それから1年くらい経ってダブリンの家に来てくれと言われて、1泊して、デモに付き合ったんです。ギタリストのジ・エッジもいて、アルバムの曲を全部聴かされて、こんな感じだけどどう思う、と。次の日はジ・エッジの家にも行って意見を言った。そんなふうに、あのアルバムを作るにあたってかなり参加してしまったんですね
で、完成したから、ジャケットに「海景」の写真をを使いたいと、ボノから正式に申し出があった。それじゃあ、意気投合したアーティスト同士として、お互いの等価交換をしよう。「Stone age deal」と言ったんですけどね、君は僕の海の映像を自由に使っていい。僕は君が作った曲をどのような形でもタダで使えると、お互いの権利を交換したんです。僕のほうは、今すぐあの曲を何かに使うというわけじゃないんですけどね。




やっぱり!というか。
あのアルバムジャケットに使うということで、
単に写真を貸しただけではないと思っていましたが。


無償で作品を使っていいとBONOに言い、


逆に、自由にU2の曲を使っていい、
という約束を交わしてしまうSugimotoさんはスゴすぎる。


その「NO LINE ON THE HORIZON」のスタジオライブを。