『1Q84』の高円寺


遅ればせながら、
ようやく村上春樹さんの『1Q84』BOOK1&2を読み終えました。


村上作品で初めて読んだのが、
ノルウェイの森』で1988年、高校1年の時。


当時のクラスメートから、
「ヨネ、エロい小説ば貸してやるけん」と
言われて手渡されたのがきっかけだったことを覚えています(苦笑)。


それ以来、エッセイも含む新刊(翻訳は除く)は毎回買い、
過去作品も全て読み、
インタビューが掲載されたものは可能な限り手に入れて、
新聞を切り抜いたり、
雑誌をとっておいたりしながら、
結構熱心に読み続け、気づいたらなんと21年も経ってしまいました。
(ちなみに、『村上朝日堂 スメルジャコフ対織田信長家臣団』には
僕がした質問に村上さんが答えてくれています。
どの質問は内緒ですが(笑))


こんなに読み続けている作家なのに、
それほどファンという気がしないのはなぜなのだろう?


なんだか、あまりにも売れすぎてしまったので、
いまさら自分が言うまでもないような気がしていたのと、
作品に対しては心にひっかかるけど、
なんだか自分の中の触れてほしくない部分に触れられて照れくさいような、
そんな感覚が常につきまとっていたせいかもしれません。


で、肝心の『1Q84』に関してですが、
作品の評価については、
色んな人が色んなところでブツブツ言っているので、
あまり書こうとも思わないのですが、2点だけ。
読売のインタビューを読んで気になった部分があったので。
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20090616bk02.htm


アマゾン等の感想を読むと、性描写・暴力シーンへの短絡的な拒絶、ストーリーの不明瞭さへの不快感を表明するコメントが溢れていて驚いてしまいます。


コンビニ・ファストフード的に分かりやすいものだけが消費され、
「畏怖」や「想像力」を失くしていく世の流れの中で、
「わけのわからないもの」が醸す質感、
そして、明瞭な“情報”ではなく、
つかみどころのない“物語”の重要性をこの作品は伝えてくれるのではないかと。(その物語の強度にもよりますが…)
そして、続編についても、もう要らないんじゃないかと。読者が“再会”を想像すればいいし、全てを作品で説明する必要もないと思います。


それにしても、毎回ものすごく売れて、毎回ものすごく批判される、
しかも、批評家や頑固な固定ファンから、野次馬、通りすがりにまで。
そんな村上作品の理由をアレコレ考えてしまいます。




と、まあ、それはさて置き、
今回の重要な舞台が、なんと高円寺なんです。
しかも僕の部屋からかなり近い設定、
マンションの階数まで同じという(笑)。


むろん、村上作品なので、
主人公は、阿波踊りの連に入ったり、
トリアノンでモーニングを頼んだり、泡瓶で飲んだくれたり、
20000Vや次郎吉でライブを観たりはせず(笑)、


朝はきちんと自分でコーヒーを淹れ、
クラシックやジャズのレコードを聴きながら
孤独で静かな生活を送り、
美少女とセックスしたりします(笑)。


村上さんは確か昔は青山に事務所があって、
逗子あたりに住んでいたというし、
その前は千駄ヶ谷でジャズ喫茶をやっていたわけだから、
どうして今、高円寺を舞台にしたんだろう??


あの環七に近い公園っていうのは、
もしかしたら…


村上さんが高円寺を訪れるのは想像できません(笑)。