最近読んでいるもの。

★『精神の生態学』 ベイトソン

精神の生態学

精神の生態学

ダブルバインド理論」で有名なベイトソンの代表作。


我々が抱える精神の葛藤や病いを考えると、最近はこの理論がすぐに浮かびます。
つまり、
人間が外界から受け取る情報には、
表面的なメッセージともう1つ必ず「メタメッセージ」があるということです。
それが「統合失調症」を生むと彼は言います。


例えば、自分がよく陥る例なのですが、
いろんな人からお誘いがあるとします。
いろんなところに顔を出すと出会いがあり、それは結果、
仕事でもプライベートでも成果となります。

一方、どんな会合にでも出るというのも、また問題があります。
(あるように思ってしまうことがあります)
上手く社交ができないケースや時間や費用が無駄になることも多いからです。


だから、自分が受け入れられ、コミュニケーションをとりやすい集まりしか
出席しないほうが失敗せずにすみ効率的で、
より成果をあげることができるのかも、と思います。


ここで2つの考えの間で混乱してしまうと、「ダブルバインド」が生じ、

お誘いを受けても、
行きたいような行きたくないような憂鬱な気分になり。
「意志決定の拘束(不自由)」を伴う「混乱・葛藤・緊張」が生じてしまいます。
これがひどくなると統合失調症になるわけです。


でも、混乱を解消し、行動するための情報を集めるには限界がありますし、
当然、いつも確実な答えを探りあてられるわけではありません。


ここで最も重要なことは、情報ではなくて、
「仮説」を立てる力なのかなと思うのです。
さらにいえば、
人間の科学・文化・芸術とはこの「仮説力」なんじゃないかと。



そして、「ダブルバインド」状態にうまく対処するというのは、
メッセージの重層性を理解するということなのかもしれない。


ベイトソンはバリの原住民の研究をして、
バリの母親は子供に「からかい」を与え、
ダブルバインドに対する耐性を身につけさせる教育を行うことを発見しています。


また、関西人は笑いに長けているのは何でだろうとも思うわけです。


それは、まさにこのダブルバインドの耐性があるということかもしれない。
彼らは小さい頃からからかい合いに慣れているわけですから。
つまり、ユーモアのセンスとは、つまりダブルバインドを理解することなんじゃないかとも。


突き詰めると、人間の言いたいことなんて至極単純で面白くないものです。
飲み会の話題はたいがい終盤にかけて、ストレートなセックスやぶっちゃけた仕事、
お金の話になります。
それじゃあ、文化なんか生まれやしない(笑)。


だから、文化っていうのは真逆の意味を内包すること、
陰陽を入れ子構造に含むことでもあるのかもしれない、と。


ダブルバインドはだからこそ、アートについても言えるかもしれません。
優れた作品は、表層とは間逆の意味があることが多いからです。


映画監督のリドリー・スコットは、
「最初から人間愛や教育を謳っては誰もその映画を観ようとしない。
いい映画は、バイオレンスやアクションといった表層的なイメージとはうらはらのメッセージを持っている作品だ」
と言っています。


ダブルバインドっていうのは大人の遊戯とも言えるかもしれません。


最近、そんなことをよく考えています。

他にも読んでいる本を。


★『女神記』 桐野夏生

女神記 (新・世界の神話)

女神記 (新・世界の神話)

ものすごく怖い作品です!! 読むたび、震えます。

舞台は、「ヤマト」の頃の、
恐らく沖縄か奄美あたりの小さな島。
(久高島に関する資料が参考文献として巻末に載ってましたが)


そこは神と巫女が支配する原初の集落。
主人公の女は生まれながらにして、「穢れた存在」としての運命を背負わされますが、
島の規律を破り、男とヤマトへ脱出の航海へ出ますが、
船上で出産した後、その男に殺されてしまいます。
その後主人公は黄泉の国で神々に出会う。


イザナミやイザナキはもちろん、
アマテラスやスサノオといった神々が登場するので、
高千穂行き以来興味関心がある日本の神話を学ぶにはもってこいの一冊です。


しかしながら、怖すぎる(苦笑)。


★『マクルーハンの光景』 宮澤淳一

マクルーハンの光景 メディア論がみえる [理想の教室]

マクルーハンの光景 メディア論がみえる [理想の教室]


地球村」という概念を創出したマクルーハンのメディア論の考察です。
彼のこの概念と、フラーの「宇宙船地球号」という考えは、
まさにエコロジーのさきがけであり、驚くほど時代を先取りしています。


しかし、2人とも不遇の学者ですね。。。